みるとみえる

世界文学と「わたしの言葉」をこよなく愛する女の子の創作ノート

短編小説その2

 

 パリの空に浮かんで、船に揺られているような気持ちだ。

 このところ、ひどく暑い。窓を全部開け放って、風の通りをよくする。あるいは、窓に布を下ろして、強すぎる日差しをさえぎるようにする。そのへんの臨機応変な対応が、まるで航海途中の船乗りの気分だ。

 部屋は建物の屋根のすぐ下なので、天井は三角形に尖っている。天井だけでなく、壁までずっと斜めである。7枚ある大きな窓は、ガラス板が上下に回転するような形をしていて、どれも斜めについている。

 くるくると窓の角度を変えることで、風の波が変わる。夏の暑い時期は、とにかく風が必要だ。補足の推進力として、扇風機をひとつ回している。18世紀に建てられた屋敷だから、エアコンを取り付けることができない。

 天井のてっぺんにある2枚の窓を開けるには、木のはしごを上って、さらに背伸びをして押し上げる。低いところにある窓も、わたしの身長では届かないので、夫が閉めるか、椅子を持ってきて閉める。

 突然どしゃぶりの雨が叩きつけるとき、窓を順繰りに閉めて回るのは、いかにも手際よく、適切に事態に対処しているという満足感が得られる。

 しかし暑いときには、雨はめったに降らない。

 わたしたちは日照りにあった遭難者のように、床に倒れている。

 西向きの窓のすぐ外に、憲法評議会の丸いドームが見える。赤、白、青のフランスの旗が、毎日欠かさずはためいており、日没から夜12時まではライトに照らされる。昼も夜も、休みない航海の象徴だ。

 わたしたちはどこに向かっているのか。

 旗を掲げて目指しているのは、猛暑の出口だった。たどり着くには、ただ辛抱するしかない。あと1週間か、それとも数日で終わるのか。天気予報は、アフリカの熱波が再び襲うと告げている。

 わたしたちのアパートが、ひょいっと熱波を飛び越えられればいい。しかし、船だからそういうわけにもいかないのだ。熱波に揉まれて部屋が沈み、わたしたちがゆでダコにならないことを願う。周りのほかのアパートも、照りつける日差しから逃げ出すことなく、じっと耐えていた。

「もう、ネズミはいないのか?」と、床に寝ている夫が聞く。

 わたしはもうずいぶん長く、ネズミのことを考えたことがなかった。おととしの冬に、ネズミの一家がやってきて、わたしたちは生活スペースの権利を賭けて戦わなければならなかった。1か月ほどの攻防の末、母ネズミと2匹の子ネズミを粘着テープで始末したあとは、もう悩まされることはなくなった。

 かさこそとゴミをあさる音も、転々と残された黒い糞も、思い出すだけでいやな気分になる。しかも、捕らえたネズミは思いのほか可愛らしい目をしているのだ。わたしは自分で手を下すことができずに、ネズミの生殺を夫に押し付けたのだった。

「ネズミが逃げ出したら、船はもう終わりなんだ。」

「タイタニックの話でしょう。」

「船を出ても海がある。どうやって逃げ出したんだろう?」

 ネズミは水で溺れ死んだのだと思ったが、言わなかった。でも、もしかしたら、板切れにしがみついて生き残ったのがいたかもしれない。救命ボートの底にうずくまっていたのがいたかもしれない。

 そういう状況なら、ネズミにシンパシーを感じることもあるかもしれない。

 だが、パリのアパートではごめんだ。

 実を言うと、7枚の窓のうち3枚は壊れていて、きちんと閉まらないし、鍵もかからない。どちらにせよ、暑いときは一日中窓を開け放してある。もし屋根伝いに来客があれば、自由に出入りができただろう。人間だってそうなのだから、ネズミならもっとたやすく入り込むことができたはずだ。

 ネズミは逃げ出したのではなく、そもそもこんなに暑い部屋に来ないのだ。

 だから、この部屋には、物好きな人間しかいない。

 ちなみに、冬の間は、入り口のドアと7枚の窓枠にスポンジをあてがい、隙間をふさがなければならない。さもないと風がヒュウヒュウと入ってきて、暖房を使っても部屋がいっこうに温まらない。これもこれで、水があちこちから漏れ出してくる船底を修理する船乗りの気分を味わえる。